これまでの人生①

僕は小さいときから野球が好きでした。それはなぜかというと、センバツ高校野球第20回記念大会で甲子園で優勝。夏は甲子園準決勝で敗退するも、高校総体で優勝し、本人の意思は大学進学だったが、貧困のため家族を養うためにプロの道へ進んだという経歴を持つ祖父の影響が非常に大きいものでした。小学3年生から野球を始めた僕は、どこへ行っても北本さんのお孫さんだねと言われ可愛がってもらいました。深紅の優勝旗もおじいちゃんの家にあり、これが全国制覇したメンバーしか見れない優勝旗だぞと教えてくれ、おじいちゃんスゲーって尊敬したのを覚えています。大人になってよくよく計算してみると、高校野球の競技人口はここ30年で見ると約11万~16万人。1番低い11万人で計算しても、1/11万。0,0009%の確率でしか甲子園の優勝マウンドに立てない計算になります。まあ昔なのでもっと競技人口は少ないでしょうがそれにしてもスゴイ確率。おじいちゃんとは対照的に、僕は高校野球をするも大した結果を出すことなく僕の野球人生は終わりました。それに加えて勉強を全くしなかったので、成績はひどいものでした。卒業すら危ぶまれるほどで(笑)
もう野球はやらないと思い、毎日友だちと朝方まで遊び、バイトをし過ごしていました。
高校最終テストも赤点で担当の先生からは恩赦でOKを出してもらい卒業することができました。
当時、そんなダメダメな僕が野球をしない人生を進むと思われた時に、祖父から京都に社会人野球がある。そこに入れてもらえるかもしれないから行こうと言われました。ですがそのときは夏の現役から半年以上経っていて、やっていた方ならわかると思いますが、身体がまともに動く状態ではありませんでした。もちろんテストは不合格。ですが、君が本気なら半年後にもう一度テストするからそう思って過ごしなさいと担当の方から伝えられました。こんなチャンスはないと思い、半年間、ジムと母校とバイト先の往復に全ての時間を費やしました。
そして半年後、本当に再テストしていただけることになります。
そこでの結果は大したことありませんでしたが、合格することになりました。社会人野球とは、入りたくても入れない、やりたくてもやれない人たちがたくさんいます。それは僕も分かっていました。それに高校でも大した成績を出していない、能力も大したことない僕がなぜ受かったのか不思議でした。やっぱりおじいちゃんのコネってすごいなと思っていると、担当の方からこう伝えられました。「お前の実力は大したことない、身体も小さい、社会人野球の選手としてやるには100年早いと。
だけどお前を合格させたのには1つだけ理由がある。わかるか?」と言われましたが僕には全くわかりません。
(というかそれならなんで合格させたんだと心の中でふて腐れてました笑)
「それはな、お前はおれの言ったことをしっかり問題点として捉え、俺たちが誰も見ていない半年間で完璧に直してきたから。これだよと。」
その方は西垣一さんという方で京都の公立高校出身で、阪神タイガースへ入団されたすごい方です。
そのチームの顧問→監督→部長をされていて、京都野球協会常任理事もされている超有名人です。当時の監督も元阪神タイガースの桑名議監督。ピッチングコーチには阪神オリックスで活躍され、日本の奪三振記録を持っている野田浩二コーチですごい環境の中で社会人野球人生がスタートすることになります。


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