スキルなし、資格なし、学歴なしの男がアルバイトから11ヶ月で専務になれた5つの成功法則✨


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

スキルなし、資格なし、学歴なしの男がアルバイトから11ヶ月で専務になれた5つの成功法則✨

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

目次

1, エブリタイム笑顔

2, 0,2秒で返事

3, 相手の 予測を上回る

4, できない理由を探さない

5, 手持ちのカードで勝負する


1,エブリタイム笑顔

説明しよう☝
エブリタイム笑顔とは、常に笑顔でいること。これができれば無敵になれる。無敵とは、誰よりも強い人ではなくて、周りに敵が一人もいないという捉え方。不機嫌な顔や不機嫌な態度を取っていると、周りから機嫌の良い時だけテンションが高くて、機嫌の悪いときはモノや人に八つ当たりする人として見られ、信頼を無くす。自分もそんな人とは一緒に居たくないからやらない。すごくシンプル。簡単に言えばブスッとした顔で挨拶されるより、笑顔で挨拶された方が嬉しい。最低限、人に不快感を与えなければいいが、それだけではインパクトが弱い。笑顔にはすごい魔法があって、「暗黙の承認」という意味が含まれている。だから笑顔を受け取った人は自分は受け入れてもらえている、この人は味方なんだ、優しい人なんだと無意識に感じる。これだけで相手からの印象は少しプラスになる。だから、友達や大切な人といるときの笑顔を同僚やお客さん、全ての人に見せる。
実践してるとわかってきますが、周りの評価や評判が気にならなくなってくるんですね。なぜなら自分が世間に出しているものが、絶対的にプラスなものだから。自分が出しているものが、世間にとってマイナスなものならそれを自分の心が感じとり、批判や評判を恐れ、気になり出してくる。そんなアホみたいなこと自分一人で勝手に続けていると、自分のことを「おれって意外とええ奴やん(笑)
でもエブリタイム笑顔て‼(笑)アホやわ~(笑)」と自分のやっていることに笑けてくる。アホやな~と笑けてくることが最高にいい!
どういうことかというと、自分のことを俯瞰している、客観的に見ることができているから。
これを繰り返していると、なぜか自分で自分を認めてやれるんですね。そうすると少しずつ自分が好きになってくる。見栄や、意地がどんどん無くなっていくんですよ。見栄や意地を張っても、メリットはほとんどありません。損得勘定で考えても明らかに損なのでそういうことはやめました。
それを続けていると、第三者からの承認を必要としなくなってきますから、自分で自分を承認してあげられているから第三者に承認してもらう必要がないので自己完結でき、他人からの意見に向き合うのではなく、自分と向き合えるようになります。
ダメなのは自分「だけ」を愛することなので。自分を愛して、人も愛する。
時間が経つと決まって自分を責めたいと思うような出来事が起こりますが、それはやめてあげましょう。常に許してあげて下さい。自分はこんなこともできないのかと思うなら、こんなこともできない自分を許しますと。どこまでいっても自分を許してあげて下さい。
許せないならもう1つ違う視点を持ち、昨日よりも知らないことを1つ知れた‼このやり方は違うと分かった‼ラッキー♪ぐらいに。
与えたものしか返ってこないという法則があるみたいですが、自分にも優しさを与えてあげれば人にも優しさを提供できます。自分の人生を他人に左右されるのではなく、自分で舵をとった方が楽しいですからね。自分の気持ちに素直になれば大丈夫。
大丈夫、その考えに優しさや愛があるなら、その選択は間違っていません。大事なのは自分で選択することです。思いきって小さな勇気を踏み出してみて下さい。

次回は0,2秒で返事。

∀∀∀∀∀∀∀∀∀∀∀∀
私の公式ラインでは
悩み相談、FXや副業に興味のある方へコミュニティの案内やコンサルの情報も配信しています。
・年商20億円の人が教えてくれた人生がうまくいく方法。
・車の部品を作っていた僕が、1ヶ月でいきなり明太子工場の工場長に抜擢された嘘みたいな本当の話。
・アルバイトから11ヶ月で専務にごぼう抜き昇進できた経緯。
・トイレのウォッシレットでお酒が強くなる⁉遊益な情報も(笑)
・日本一のお金持ちから盗んだ成功の極意。
・その他、ウソみたいなウソの話、冗談です(笑)
LINE@に登録してくれた方にだけ特別配信中。
詳しくは
LINE→@cwz8873p
ブログ→smileryuki.hateblo.jp

 


f:id:smileryuki:20190113213222j:image

これまでの人生①

僕は小さいときから野球が好きでした。それはなぜかというと、センバツ高校野球第20回記念大会で甲子園で優勝。夏は甲子園準決勝で敗退するも、高校総体で優勝し、本人の意思は大学進学だったが、貧困のため家族を養うためにプロの道へ進んだという経歴を持つ祖父の影響が非常に大きいものでした。小学3年生から野球を始めた僕は、どこへ行っても北本さんのお孫さんだねと言われ可愛がってもらいました。深紅の優勝旗もおじいちゃんの家にあり、これが全国制覇したメンバーしか見れない優勝旗だぞと教えてくれ、おじいちゃんスゲーって尊敬したのを覚えています。大人になってよくよく計算してみると、高校野球の競技人口はここ30年で見ると約11万~16万人。1番低い11万人で計算しても、1/11万。0,0009%の確率でしか甲子園の優勝マウンドに立てない計算になります。まあ昔なのでもっと競技人口は少ないでしょうがそれにしてもスゴイ確率。おじいちゃんとは対照的に、僕は高校野球をするも大した結果を出すことなく僕の野球人生は終わりました。それに加えて勉強を全くしなかったので、成績はひどいものでした。卒業すら危ぶまれるほどで(笑)
もう野球はやらないと思い、毎日友だちと朝方まで遊び、バイトをし過ごしていました。
高校最終テストも赤点で担当の先生からは恩赦でOKを出してもらい卒業することができました。
当時、そんなダメダメな僕が野球をしない人生を進むと思われた時に、祖父から京都に社会人野球がある。そこに入れてもらえるかもしれないから行こうと言われました。ですがそのときは夏の現役から半年以上経っていて、やっていた方ならわかると思いますが、身体がまともに動く状態ではありませんでした。もちろんテストは不合格。ですが、君が本気なら半年後にもう一度テストするからそう思って過ごしなさいと担当の方から伝えられました。こんなチャンスはないと思い、半年間、ジムと母校とバイト先の往復に全ての時間を費やしました。
そして半年後、本当に再テストしていただけることになります。
そこでの結果は大したことありませんでしたが、合格することになりました。社会人野球とは、入りたくても入れない、やりたくてもやれない人たちがたくさんいます。それは僕も分かっていました。それに高校でも大した成績を出していない、能力も大したことない僕がなぜ受かったのか不思議でした。やっぱりおじいちゃんのコネってすごいなと思っていると、担当の方からこう伝えられました。「お前の実力は大したことない、身体も小さい、社会人野球の選手としてやるには100年早いと。
だけどお前を合格させたのには1つだけ理由がある。わかるか?」と言われましたが僕には全くわかりません。
(というかそれならなんで合格させたんだと心の中でふて腐れてました笑)
「それはな、お前はおれの言ったことをしっかり問題点として捉え、俺たちが誰も見ていない半年間で完璧に直してきたから。これだよと。」
その方は西垣一さんという方で京都の公立高校出身で、阪神タイガースへ入団されたすごい方です。
そのチームの顧問→監督→部長をされていて、京都野球協会常任理事もされている超有名人です。当時の監督も元阪神タイガースの桑名議監督。ピッチングコーチには阪神オリックスで活躍され、日本の奪三振記録を持っている野田浩二コーチですごい環境の中で社会人野球人生がスタートすることになります。


f:id:smileryuki:20190110225732j:image

「環境」

環境ってすごく大事。
誰と一緒にいるかで人生が変わるとよく言われていますが、本当にそうだなと思います。
少し前の僕は、人生に疲れきっていました。なにもやる気が起きないし誰とも会いたくないような状況でした。
そんな僕が起こした最初の行動は誰も僕のことを知らない、誰も頼る人がいない所に行こうと思いました。
そして沖縄に来ました。
車中泊で約1ヶ月間、ブラブラし、旅に出掛けたり、本を読んだりして過ごしました。
だけどヒマなんですよね(笑)
特に目的がなかったから本当にヒマでヒマで(笑)
一人でいると、誰とも話をしない時間を何日も過ごします。
すると不思議なもので、人と話をすることや、人と関わることが生きていく上ではすごく重要なことなんだと気づきました。
そこからアルバイトとして働いたときも、喧嘩をしている人達を見ても、僕は笑顔でした。
なぜなら喧嘩するには相手が必要だから。みんな、喧嘩できる相手がいて幸せやなーって見てました。
僕は前半生30年、自分の発する言葉で人を恐怖にしたり、傷つけたり、悲しませたりしてきた。
だけど残りの人生は、人に勇気を与えたり、希望が持てたり、共に夢を見たり、悩んでる人や落ち込んでいる人の心の灯りが灯るようなポジティブな言葉を発する人間でありたい。
そんな2019年の小さな決意。

 


f:id:smileryuki:20190110073723j:image

「行動の星」

本当にこんなことあるのかと思った実体験があります。
僕は日本一のお金持ちと言われている斎藤一人さんが好きです。
だから本をよく読んでいます。
一人さんはよくこんなことを言われます。
「天国言葉を話しな」
「笑顔でいなよ」
天国言葉とは、
「嬉しい」「楽しい」「大好き」「ありがとう」「愛してる」
「ツイてる」「幸せ」
「許します」

こんなことで本当に人生うまくいくのかと思っていましたが、その当時の僕は、あることがキッカケで病んでいました。1週間で体重が5キロ落ちるほど病んでいました。そんなどん底の僕が、なんの因果か斎藤一人さんのYouTube音声をネットカフェでたまたま聴くことになります。
その時、本当にこの人は何を言っているのだろうと思いました(笑)
だけど、藁にもすがる思いで自分は実践しました。
すると、今まで心の中にあったモヤモヤやイライラ、不安がどんどんなくなっていきました。
ですが僕は根っからの短気イライラ性。癖にしないとすぐにイライラの芽が出てきてしまいます。
なので毎日、通勤の往復は一人さんの音声を流し、天国言葉を呪文のように唱えていました(笑)

それまでの自分は誰が見ても常に怒っている。イライラしているように見える人だったと友人知人から聞きます(笑)
人を寄せ付けないようにしていたことは意識があります(笑)
ですが、本当に毎日が変わってきました。

あれから約5年が経ちました。

未だに車に乗ればルーティーンを繰り返しています。
そのお陰で本当に毎日が変わりました。

モノの見方が変わりました。
引き寄せる事象が変わってきました。
自分の与えたものが還ってくる。

ですがこれは、行動した人にしかわかりません。
人が何と言おうと、自分の信じた道を進みましょう。
初めは孤独かもしれませんが、必ず先に出逢う仲間がいるはずです。

 

ONE PIECE
ハグワール・D・サウロの名言

楽しかったら笑うでよ。という事は笑ってたら楽しくなってくるわけだで。おめェチビのくせに色々苦しそうだで。笑ったらええでよ!苦しい時は笑ったらええ。

 

 

よく聞けロビン…
今は一人だけどもよ………!!
いつか必ず"仲間"に会えるでよ!!!
海は広いんだで………
いつか必ず!!!
お前を守ってくれる"仲間"が現れる!!!
この世に生まれて一人ぼっちなんて事は
絶対にないんだで!!!!』

 

本当、涙出ます。

そう信じ、明日も一生懸命。

 


f:id:smileryuki:20190109004636j:image

「わかっていても」

こうすればうまくいく、とわかっていても、ほとんどの人がうまくいかない。
不思議なのは、いい話を聞いてもなぜかみんなやらない。
すごくいい話聴きましたって言うけどやってる人がほとんどいない。
やっぱり人間は変化を恐れるんだなと常々感じる。
だけど、変化を起こしていかないと現状はなにもかわらない。
小さな勇気が人生を一変させる。
小さな勇気とは?
「行動」を起こすこと。
例えばパソコンが苦手で、電源の入れ方すらわからなかったなら、まずは本屋に行って本を買うか、ネットで調べるか、パソコン教室に通うために応募してみる等の行動を取る。
どの方法でもいいから勉強して電源の入れ方がわかったならそれだけで昨日の自分より1つ知識が増えたから成長。
やったらできるやん!と、自分を安心させてあげる。
こんな小さなことの繰り返し。
やってなかったことをまずやってみる。挑戦してみる。失敗したけどうまくいかないことがわかった。成長した。
小学1年生の算数が、いきなりかけ算は無理だから足し算と引き算からスタートするように当たり前のことから少しずつ自分を動かしていけば必ず良き方向にいける。
自分をキライになると地獄が待っているから、悩まず、抱え込まずに一歩ずつ進んでいこう。



f:id:smileryuki:20190107194355j:image

初投稿 脱サラ

明けましておめでとうございます🎉

2019年始まりましたねー

今年も、激動の1年になるんじゃないかとワクワクしています。

脱サラして、収入は半分以下に減りましたが、充実感は倍以上です。

初の投稿ということで、僕が2年間工場長としてお世話になった工場の話を書いてみたいと思います。


これは僕が2年間お世話になった北九州市小倉北区にある、明太子製造工場の話です。
月間の製造数量は100万パックを超え、日本でも指折りの製造と施設を持っている工場です。この工場は日本で1番店舗数の多い某コンビニの明太子を製造していました。僕はここの工場で立ち上げの工場長としてド素人の僕を、親友である先輩の方が招いてくれました。
ですが、本当のところを言うと、僕は先輩の会社が何をしていて自分は何をやるのか全くわからずに入社しました。
そもそも、先輩が一緒にやろうと言ってくれた時に二つ返事ですぐ行きますと言って次の日に会社に退職願を出したので、仕事の内容、お給料のこと、休みのこと、何も聞いていませんでした。
僕の前職というのは、車の部品を作っていたので、明太子のこと、工場のこと、食品のこと、衛生管理のこと、トップとしてやらなければいけないことの数々を当時の僕は何も知りませんでした。仕事だけではなく、全てのことを軽く見て舐めていた年齢でした。そんな僕は、親友である先輩に毎日怒られ、毎日怒鳴られ、そんな酷いことまで言わなくてもいいのにと思う毎日でした。
全くの未経験なんだからしょうがないでしょうと毎日思っていました。ですがそんなことを口に出せるわけもなく、当時の僕は毎日恐怖で仕事を行い、毎日恐怖で床に入り、恐怖に起きる毎日でした。電話が鳴ればどんな問題があったのかとすぐネガティブなことを考えてしまい、いかに怒られないようにするかしか考えられなかった日々で、問題が起きずに終われる日がどんなに安堵したことか。
当時の僕はそんな先輩が大キライでした。
だけど大好きだったんですよね(笑)
仕事が終わるとよく小倉の街に呑みに連れていってくれました。
仕事と遊びのバランスがとれた絶妙な人です。僕が怒られて凹んでいたり、先輩と話しにくそうにしていると何事もなかったように話しかけてきてはすぐに笑い話をする先輩の切替の早さに驚きでした。この人の心はどうなってるんだ?と思わせるようなメンタルの強さでした。そんなヒトラーみたいな独裁者の先輩の工場で僕は2年間お世話になります。
ですがメンタルの弱い僕が、2年間もひとりでそんな状況で頑張れるわけがありません(笑)
そこには支えてくれるたくさんの仲間がいました。
僕は人の上に立てるような人間ではありませんでしたが、本当に周りの人に支えられて、助けてもらってやってこれたと思っています。現場では、工場長としての能力が全くない僕に「工場長、工場長」とパートさんやアルバイトのベトナム人留学生が質問してきます。工場長の能力がなくても工場長として振る舞わなければいけない状況が朝昼夜と毎時間襲ってきます。何度も間違えた指示を出しました。何度も現場の人たちを困らせたり迷わせるような指示を出しました。だけど毎日皆さんは「工場長」と言ってくれました。毎日、何が起きているかわからない現状、毎日ハプニングが起こる現場と事務所、親友である先輩からの罵声。どんな指示が正しいのかさえわからないが指示を出さないといけない現状。カッコ悪いですが、当時の僕は皆が帰った後、1人きりの工場で泣いていました。

今もこの工場は発展を続け、規模が拡大し、第3工場ができ、自社で冷凍倉庫を持ち、シメサバやお正月商材の商品を作るほど会社が成長しています。
本当にあの2年間で学んだことは活きすぎているといっても言いぐらい僕の人生の指針になることをたくさんの人たちから教えてもらいました。
当時、いつも一緒に怒られた、副工場長として自分を支えてくれた杉尾さんという方がいます。この方はシングルマザーですが、本当に強い人ですが弱い人です(笑)
お互い、先輩から怒られたときはどうしよ?どうしよ?と二人であたふたしていました(笑)
杉尾さんはそれまで4年間、製造のアルバイトとしてやってこられてたので現場のことをよく理解していましたので、自分は杉尾さんがいなければ何もできなかったと思います。だから何か相談があるとすぐに杉尾さんを頼っていました。立ち上げ当時、先輩から怒られ、怒鳴られ、罵声を浴びるのはいつもこの二人でした(笑)
お互い弱音を吐きながら、傷の舐め合いをしているとよく、先輩から傷の舐め合いすんな!と怒られました(笑)
本当に辛かったときを支えあった最高の同志です(笑)
そして事務関係のことで何もわからない僕が事務所で頼りっぱなしだった優ちゃんという女性がいます。優ちゃんは見た目パリピ、ド派手、超イケイケ(に見える)ギャルです。
優ちゃんの趣味はネイルで、毎週といっていいぐらいネイルが変わるオシャレギャルです。優ちゃんは月末になると在庫管理も適当だった僕の在庫合わせによく付き合ってくれました。深夜遅くまで。
本当に迷惑しかかけていませんでしたが、何でも引き受けてくれる名前の通り優しい女性です。ですが、優ちゃんは強そうに見えてメンタルはシャボン玉のように弱い人でした。立ち上げ当時、自分も仕事が一杯で優ちゃんに仕事をふっていましたが突然会社に来なくなりました。突然すぎてビックリした僕は先輩に聞きに行きました。すると実は口に出さなかったけれど、優ちゃん自身も一杯一杯だったけど、忙しそうにしている僕を見て言い出せなかったそうです。本当、そんなことも気づけなかったのかと僕はつくづく自分の力のなさに失望しました。
この人たちの上司としてしっかりしたいと心から思いました。

 

僕たちの工場がなぜ月間で100万パックも作れるようになったのか、それは何よりも現場で活躍してくれたパートさんやベトナム人留学生のアルバイトの子たちのおかげです。特に感動したのは、休み時間を削ってまで仕事してくれているパートさんたちやベトナム人留学生たちがいることでした。本当に頭が下がる思いでした。この人たちは今、僕よりも役職や給料は下かもしれないけれど、1人の人間として、僕に役職や名誉が無くなったとき、僕についてきてくれるのか?

そういう人間になりたいと僕は切に願っていましたし、自問自答しながら過ごしていたことを思い出します。

それぐらい僕を感化させてくれた皆さんの行動がありました。


工場立ち上げ当時は日の出来高が8000~14000パックでしたが、100万パック達成時は約40000パック生産していたことになり本当にパートさんとベトナム人留学生達のお陰だなと感謝しかありませんでした。

そんな工場に助っ人としてやってきてくれた僕の社会人野球時代の後輩、串木野が活躍してくれることになります。
彼はとてもクレバーで頭の切れがよく計算も得意でした。元々営業の仕事をしており計算が早かったので、工場に来てから皆と仲良くなるのも早くすぐに即戦力として活躍してくれました。彼がいなければ工場はもっと発展するのが遅かったんじゃないかと思わせるほど素晴らしい人財です。
彼の誕生日に、彼に似ているモアイ像が入ったTシャツをプレゼントしたことを昨日のことのように思い出します(笑)

すごく喜んでいました。たぶん(笑)
そして更に、調味料を納品してくれる会社の営業として何度も顔を合わせていた草薙さんという方が品質管理部長として入社してくれることになります。
草薙さんは営業の仕事をやりながらも、クライアントの要望により独自の配合で調味料を作ったり、工場の衛生面についてすごく詳しい、云わば工場のプロフェッショナルに近い存在でした。
そんな方が入社してくれたので僕は草薙さんを頼りにしてなんでも聞きに行っていました。
本当にストイックな方で、会社に寝泊まりをして3日ほどお風呂を入らないこともありました。2日目ぐらいから、草薙さんの肩には頭から降ってくる白いカスが雪のように積もることが多々あり、デスク周りも白いカスで雪のようになるので掃除の岡野さんが難儀していました(笑)
それぐらいストイックに仕事に取り組まれる方でした(笑)

呑みに行くと必ず寝るのでいつもポスカで顔に落書きをされてみんなのオモチャになってくれていました(笑)
その他にも事務のべっぴんで泣き虫なのにめちゃくちゃ気が強いキムや、某宅急便会社から来てくれた無口なタイプだが好きな歌は情熱的な亮介、総務のことでは堀井さん、通訳として日本に来てくれたベトナム人社員達の存在がありました。本当にどんどん会社が良くなっていくのが手に取るようにわかり本当に嬉しかったです。この会社で教わったことが本当にたくさんありました。そして本当にみんなが大好きでした。ここでは辞めた理由は割愛しますが人の出会いというのは本当に素晴らしいです。会社名にもあるように「EN」は「縁」と捉える出会いでした。

そして、平等にある24時間をどう過ごすのか。僕たちが過ごした2年間は、本当に中身が濃すぎるぐらい、カルボナーラに黄身を4つ入れるぐらい濃い~時間でした。ここまで濃い時間を過ごせたのも1人の男(ヒトラーのような親友である先輩)(笑)で変わります。一緒にいる人で人生は変わると言いますが本当にそうだと思います。どんな時間を過ごすのか。どれだけ本気で生きるのか。学ばせてもらいました。この次に就く仕事でも最速で昇進することができましたが、これは別の機会に書かせてもらいます。
長い文を最後まで読んで下さってありがとうございます。今まで僕に関わってくれた人たち、これから関わるであろう全ての人たちの
人生が、幸せで健康なことを心から祈っています。全ての良きことが雪崩のごとく起きますように。

f:id:smileryuki:20190104013301j:image    2019/1/3     沖縄